主観的日々録 Day1

要するに、長文になったTwitter。

misc diary

日々とは言っても、毎日ではない。
Twitterは毎日のようにやってるのにね。
企画とも言えないようなシリーズだけど、これもテスト記事量産計画の一環なので許して。

今日したこと

  • 横田基地に行った
  • Metalsmithと引き続き戦った

以上。
こういう企画で最初っからちゃんとした出来事があると、その後の記事がなんにもなさすぎて面白くなくなりそう。
まぁ、横田基地ではピザとアップルパイ買っただけなんだけど。
書くことがあるというのは実際ありがたい。

Metalsmith

ご存知かどうか僕はご存知でないけど、このサイトは静的サイトジェネレータMetalsmithでビルドされてる。
静的サイトジェネレータ調べる前までは、正直Metalsmithとか言うのは知らなかった。
そもそも、静的サイトジェネレータ選びって難しい。
静的サイトジェネレータまとめサイトみたいなのもいっぱい(2つくらい)あるし、静的サイトジェネレータの数も多い。
テンプレートエンジンもいっぱい種類がある。
それに、もっと考えるならRubyで動いてるのかNodeJSなのかとか条件はいっぱいある。
で、僕が選んだのがMetalsmith。
優柔不断な僕にふさわしいシステム。EVERYTHING IS A PLUGIN
コミュニティは割と小さい印象だけど、まぁプラグインくらい自分で作ればよろし。
でもこいつ、NodeJSで動くのでJavaScript書くのでいつもかなり時間を食ってしまっている。
プラグイン前提なので、その周辺がしっかりしているのはありがたいけどもね。

感想

Twitterの調子で長文書くと凄い尊大に聞こえる文章になる。
要するに、普段僕はTwitterで尊大を140字に割り振って薄めているということだ。
いつもしないようなことをすると、自己反省の材料にもなるのであるなぁという詠嘆。
そもそも、Twitterでは僕という一人称はあまり使わない気もする。

一人称

一人称、日本語にはたくさんある。
英語にはない。
というのは、話の枕に何度も使われてヘタってそうな代物である。

古代日本は一人称に"わ"があったという。
この頃は"わ"しかなかったのか、公的な場で使う一人称が"わ"だったのかは知らない。
でも、言語学に素人な僕でも"わ"が私とか我とか妾とかに通じてそうだということはわかる。

僕という一人称もある。
下僕から来てそうな感じだし、もともと謙遜かなんかだったのがその意味が抜けたんだろう。

まぁ、言語系統学はその先生がやっていればいい。
今日ではそれぞれどんな印象を与えているのか、と言うのが刹那的な生き方をしていると自負する方々にとっては重要な事じゃなかろうか。
自分がよく使う一人称は

  • 自分

だと思っている。
ここからTPOに応じて選んでいる。と言うか自然に選択している。
割りと無意識的なのであれだが、とりあえず自分の使い方を振り返ってみる。

先程言ったとおり、僕はこれを謙遜的な意味をまとう一人称だと思っている。
例えば、「(君はどう思っているが知らないが、一個人としての)僕は~~と思う」という感じで使っている。
相手を尊重している。しているが、自分の意見を言わしてもらうのならばね。といった感じで使われている。
そして、これを使うとき、実際自分はあまり相手を尊重していない気がする。
相手をある意味嘲笑しながら自分を卑下してその嘲笑すべき考えに割入ろうとする。
うむ。全く尊大だ。
もちろん、常にそうだというわけではないが。
少なくとも、自分の考えを切り出すのには使い良い印象だ。

うーん。なんだろうこれは。
少なくとも"僕"みたいに自分を卑下したりと言った風情はない。
というか、"僕"よりもガンガンいってる印象だ。
もっと踏み込んで、相手の意見に賛否つけるとき。立場を明確にするとき。
あくまで相手と対等に。
そういった意味であまりこれは卑怯ではない。気がする。
でも、そんなん"僕"と一緒やろと言われたらそうな気もする。

これ使いやすいね。非公式な感を演出するにはうってつけ。
ぶっちゃけ話とかし易い。
相手との立場で言えば、対等というより親密だろうか。
相手の心持ちとはかかわらずオレオレと懐に潜り込んでいけるこの感覚。インスタントオレオレ系になってみるのも悪くはない。
相手には悪いが。

自分

これ好き。
無色なイメージ。
悪くいうと自分を一般化している。
"自分"というと、「妾の言ったことを、己の心に問うてみよ。問うた結果こそ、妾に返すべき答えぞ。」という感じもする。
反論を促しているというかなんというか。
居酒屋談義で意見を盛んに言う人の一人称は「俺」か「自分」だと思う。
何にせよ、卑下するでもなく自己を一歩引いてみせる。
「俺の話じゃなくてお前の話が聞きたい。レールは用意してやったから。」と使うか、"僕"と同じ用法で押しの強い人が使うかのどっちかという感じ。

結論

人によって一人称の用途って違うと思うんで、今流行りの人工頭脳かなんかで解析したらいいんじゃないですかね。

あとがき

そんなに最初の話題が尊大でもない気がしてきた。
あと、一人称っていろいろ意識しても使いづらくなるだけだし考えても仕方ないと思う。

追伸

自分の文体というのが気になって、あとがきまでを文体診断ロゴーンにかけてみたら、阿刀田高と似ている文体だと出された。
知らない人だ。
文体が柔らかいともでたが、まぁそれは意識してやったことなので結果に明確に出てよかったと胸をなでおろしている。
読みにくいけどね。


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