主観的日々録 Day3

正直言ってこのシリーズいらないし、ブログ名に格上げするか。

misc diary

なぜMinecraft関連の合同プロジェクトで成功したという話を聞かないのか

いきなり本題である。そもそもこの論題は、以前から合同プロジェクトの話があるたびに言いつくされてきたことである。
日本版MCBanはその中で最も新鮮であろう話題だ。 どうして企画されたのかについて私は情報を持たないが、少なくとも今年中には開発が始まっていたプロジェクトが一般提供からわずか一日で提供が終了したということは知っている。
(現在、再起が図られている模様。(公式のツイート)(現在の公式トップページ))
このプロジェクトは、準備期間がそれなりに長く設けられていたことや、アイコンの申請をFontAwesomeに対して行っていることなどからして、決して単なる思いつきからのものではなさそうであることがわかる。
しかし、アンサイクロペディアにイタズラまがいの記事(10/12現在、ICU)が投稿されるなど、一日で終わったということがセンセーショナルであることは疑いようもない。
では、なぜこのような話題が幾度となく各種SNSを流れていっているというのにもかかわらず、新たなプロジェクトが起草され失敗・停滞していくのを度々見るのだろうか。
失敗談についてはもちろん事欠くこともないし、成功談は海外の大手Modであるとか日本でもPEのModなどがあげられる。
もっと広義に考えれば、マルチサーバー運営は集団で何かをなすという点での成功失敗の経験が詰まっていると言えよう。
そしてもっと一般的な話をすれば、殆どの日本人はチーム運営ないしチーム構成員としての何らかの役割を持ったことがあるはずである。
しかし、何らかの要因によってそれが多くの場合生かされていない。
何故か。
考えられることはいくつかある。
まずはただ単に、失敗という扇情的なことばかりが取り沙汰され成功したという話が耳に入って来ていないという可能性がある。
これについて、私は正誤を判断するに足る情報を持ち合わせていないが、とりあえずすべて失敗しているという(間違った可能性のある)前提に立って話したい。
次に、特に合同Modに限ったこととして、過去の失敗経験と言うものがある。
合同Modは私の知る限り、2つの大きな失敗を経験している。
そのためMod開発コミュニティ経験がある一定以上長い、即戦力人材が合同Modには欠如してしまっている。
そして最後に、Minecraftがゲームであるということだ。
世の中の多人数が集まって行うプロジェクト、例えばOSSはその大抵が現実において何らかの益を成すものである。
そして、余暇を使って楽しむという目的において、合同プロジェクトのスケジュール管理等は通常邪魔なものでしかない。
たとえその最終目的がMinecraftを楽しむことであったとしても、多くの人にとってそこまでMinecraftは重要なものではないのである。

そのような状況の中でなぜ合同するのか

合同プロジェクトは、趣味において多くの場合良い選択肢とはいえない。
うまくいくのは、WikiやOSSのような自由参加離脱型かその目的がよほど合同に適しているかのどちらかだ。
失敗した合同プロジェクトを見ると、その中核がそのプロジェクトにおいてほとんど意味をなさないということすらある。
しかしそれでも、その中核が有意義でそのプロジェクトを少しでも前に進められる能を持つのであれば、合同プロジェクトの実はなくとも名は残るだろう。 これから合同Modをしようとする人がこの記事を見る可能性は限りなく低いが、もし検討しているのであれば参考にしていただきたい。

結論

よーくかんがえよー、時間は大事だよー

蛇足

これ僕が言うと文脈の隙間を読まれるやつだけど、今僕たちがやっているプロジェクトはうまくいってるから参考にするといいよ。


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